死に物狂い

周りから影響を受けやすい人の日記

第二章の行く末、私的な一年間の振り返り

「みんなの人生も、明日から第二章です」と彼女は言った。2019年3月に解散した、声優ユニット・Wake Up, Girls!のリーダー、青山吉能さんの言葉である。

 「第二章」というワードの意味を一義的に定めることはできないが、少なくとも彼女は、自分たちの新しいスタートを指してそう言った。そしてその言葉通り、メンバー7人が各々に活動の輪を広げつつある。明日仕事があるかわからない世界に身を置きながら、しっかりと歩みを進め、さらには結果を出していく姿勢には感嘆するし、尊敬するし、遠目で見ている自分も「頑張らなきゃな」という気持ちになる。

 一方で、自分の頑張る方向がなかなか見えず、気持ちだけが急いている状況がある。最近では確信を持って言えるようになったが、私が7人に惹かれたのは、先行きが不透明な今の世の中において、「自分のなりたい姿」を(程度はあっても)明確に持ち、そこに向かって進もうとする、また進めるチャンスを掴んでいくところにあった。オタクが推しを推す理由は様々にあり、「自分と似ているところがあるから」という方も居るが、私の場合は「自分にないものを持っているから」だった。

 というわけで自分語りである。一年間の振り返りをしよう。なぜこのタイミングなのかと言えば、個人的にそういうタイミングを迎えたからである。この記事のWUG要素はここまでである。

 

 多能工化の名目の下、ほぼ畑違いの仕事をやることになった。延々悪戦苦闘しながら今日を迎えたが、残念ながら現職の内容自体に汎用性や専門性はなく、その点は不安でしかない。そんな中であえて得たものを探せば、いわゆるヒューマンスキルと呼ばれるものになるだろう。

 個業が中心であった頃と比較し、協業という名の調整事が増えた。調整根回し根回し調整である。特に、部門を跨ぐ調整は言うまでもなく面倒だ。それぞれがそれぞれの部門利益を第一に考えるから、話がややこしくなる。しかし、それが彼らの仕事であるし、部門が変に不利益を被ることになれば、批判を受ける立場にもなるのだから仕方がない。仕方がないが、私も「そうですよね~」で終わらせるわけにもいかず、とりあえず話をする。話を聞いてくれる人がほとんどなのが救いで、だから何とかなっていると思う節がある。

 全体最適部分最適は往々にして対立するのだろうし、その狭間に身を置く立場として、「どうして分かってくれないのか」と、各方面に不満を抱くのもナンセンスだろう。本来は、そもそも今やろうとしていることが本当に全体最適につながるのか、という部分から疑ってかかるべきなのだとは思うが、思ったところで、施策に影響を与えられる程のパワーを自分が持っているわけでもないから、それもまたナンセンスか。できることと言えば、上から降りてきた施策について、(二度手間にも思うが)各部門に納得してもらえる説明を考え、「そちらのご意見も仰る通りですけど何とかお願いしますわ~」と、論理と感情を上手く組み合わせて対応を進めるぐらいのものだ。言うまでもないが、一方的に押し付けたところで物事が上手くいくはずもない。そこはお互い様の精神で。もとより、同じ会社の人間なんだから、いがみ合う必要なんてないのだし(と私は常日頃思っている)。

 そう考えると、WUGは各メンバーが別の方向を向いているのに、同じ方向に進んでいる良いチームだったなと思う。芸能の世界で生きる人間の個性や思考回路は、我々サラリーマン界のそれとは比べ物にならないぐらいに、軋轢を生じさせうる要素であるはずだ。それにもかかわらず、一つの集団としてまとまっていたのは、個人の資質に加え、彼女たちをマネージメント(コントロール)していた人々の力によるところも大きかったのだろうと思っている。

 さておき、最初にヒューマンスキルと書いたが、一年間こんなことを続けてきたから、そんな能力がうすーく自分の中には蓄積されたように思う。というか、されていてほしい。と言っても、所詮は社内調整であり、胸を張って言える類のものではない。色々と抽象的な書き方しかしていないのは、ネット上に書ける事項が少ないのはもちろんだが、具体的な成果がなく、数値的な表現もできない、自己満足的な何かでしかないからだ。しかし、何も得ることない一年だったと断じるのも違う実感があるから、ここらへんが自分の中の落とし所だろう。

 もうしばらくは今の仕事が続く予定だが、前の一年と比べて何を得に行くかについては、一層に考えていかなければならない。薄い二層を重ねるのに、二年の月日をかけるのは勿体ない。加えて言えば、その後自分の身がどうなるかもわからない。元の仕事に戻るのか。また別のことをするのか。まあ、例えば民法改正に全くキャッチアップしていない程度の現状では、何をやろうが結局一からのスタートに等しいから、深く考えるところではない気もする。

 そんな意識の高そうなことを言いつつ、別に仕事から何かを得ようとしなくてもよいのでは、とも思う。だって志の大きい人間じゃないのだから。なりたい姿の啓示を他者に求めるような人間は、いかに日々をのんびり生きていくかに力を注いだほうが、幸せな最後を迎えられそうである。もう青少年じゃないのだから、無駄に相反する自意識に囚われるのもやめたい今日この頃だが、40、50と歳を重ねても同じようなことを言っているのだろう。

 このように、歩く道を見失っている成人男性が頼るものと言えば占いである*1しいたけ占いを始めとして、無料占いを漁った結果、今の私は「過去を顧みて、新しい一歩の踏み出し先を考えるとき」であるとの見解に一致を得た。バイアスがあることを否定しないが、なるほどなと納得する。顧みるほどの過去があるかは怪しいが、ひとまずもう少し頑張ってみようと思う。

 感覚的には、私の第二章は就職をした時点から始まっていて、その点ではWUGちゃんより先を歩いていたはずが、今ではもう彼女たちの足跡すら見えない。このままでは第三章に進めるかも怪しい。私というコンテンツは未完で幕を閉じる…などと言うとちょっと格好良いが、そうならないように、小さな一歩を踏み出すことだけは続けていきたい一年である。もちろん、笑顔だけはチャージしてね。

*1:諸説あります

解明『さようならのパレード』

前提

・解明はしてない

 

主旨

声優ユニット Wake Up, Girls!(以下、「WUG」と言います。)が歌う楽曲の一つ、『さようならのパレード』の振り付けとフォーメーションチェンジに関するスライドを作成しました。

・ブツはこちら(Google Drive上) 

drive.google.com

 ・ネタ被りご容赦

 

 〔参考資料〕

Wake Up, Girls!  FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]

 
Wake?Up,?Girls! ?FINAL?LIVE?想い出のパレード? [Blu-ray]

Wake?Up,?Girls! ?FINAL?LIVE?想い出のパレード? [Blu-ray]

 

 

なぜこれを作ったのですか?

・WUGは今年の3月に解散してしまいました。『さようならのパレード』は、そんなWUGのラストツアー用に制作された4曲、通称WUG組曲(またはMONACA組曲)のラストを飾る曲です。

・タイトルが示す通り、終わりや区切り、そしてこれまでの軌跡を想起させる内容になっています。

・特徴的な要素として、過去にWUGが歌ってきた曲の振り付けが本曲には取り入れられています。

・ツアー中、そしてライブBDを見ながら、何となく「ここはあの曲のあの部分から取り入れたんだな~」と考え遊んでいましたが、折角なのでもう少ししっかりと、どこがどこに対応するのかを明瞭に整理してみようと思い、本スライドを作成し始めたものです。

・当初は振付自体に関するメモを箇条書きにして記そうかと思いましたが、「フォーメーションにも何か意味があるのでは」と思い始め、結果的にこちらがメインであるかのような内容になりました。

 

 

当初の目的は達成できましたか?

できませんでした!

・残念ながら、今の私の知識量とその他もろもろのスキルでは、自信を持って一対一の対応(またはそうではないこと)を断言できません。

・今後は各ライブBDの映像を見比べ、本資料をゆったりちまちまブラッシュアップしていこうと思います。

・あわよくば、これをたたき台に各所からあーだこーだの様々な意見が集まれば幸い、とも考えています(人任せ)。

 

本来は比較動画的な何かでやることではないのですか?

・そんな技術はありませんでした(法的にも面倒か)

 

それはそれとして何か分かったことはありますか?

・WUGちゃん曲中で動きすぎ。比較的低BPMの曲でもこんなにも動くの……じゃあ激しい曲は一体どうなってるの……。

・とはいえ、そこはプロの技というか、無理な動き方はしていない。素人目にも合理的に移動していると感じる。

・(さよパレに関して言えば)一曲中で同じ陣形になることはない。

・恐らく、何かの曲と同じフォーメーションになっている瞬間もあるのではないか。

・振り付けが取り入れられている(と思われる)のは、『タチアガレ!』『Beyond the Bottom』『7 Girls War』『僕らのフロンティア』か。『言葉の結晶』と『土曜日のフライト』っぽさも感じる。あえて言うなら、彼女らの核になっている曲、または転機になった曲と表現できるか。もちろん、他にもあるかもしれない。

・途中から、何もかもどこかで見たような気がしてくる。ただ、本曲の振付は、タチアガレ以前からご担当されていた方によるものとのことだから、それこそ「WUGらしい」ダンスになっているのだろう。「○○っぽいダンス」という表現は不勉強ながらあまり聞かないが、曲や歌い方にはよく言われるし、おかしいことではない。ダンスまで含めて、WUGらしい一曲であるということだ。

 

エイベックス・ピクチャーズ株式会社 御中

・いつの日か、i☆Ris先輩のようなダンス動画を何とぞよろしくお願いいたします。

 

演者とキャラクタが交錯した場所―声優ユニット『Wake Up, Girls!』のライブツアーにおける前説が織りなした世界について―

 本記事は、トキノドロップさんにおけるWake Up, Girls!記事連続投稿企画「はじめましてのパレード」10日目の記事となります。昨日のご担当はまこちんさんでした。本日は同日でホテル野猿さんも担当されています。明日は吾解さんとたかふぉいさんがご担当です。

前段

 2019年5月31日、『Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~』のBDが発売された。HOMEの物語もこれで完結。そこに残されたのは、非常に美しい光景だ。必ずしも一枚岩ではなかったはずの客席サプライズ企画も、その一編を支える存在となっていて、後に映像を見返した時には、素晴らしい何かがあったんだなと、そのような印象が残るだけだろう。皮肉ではなくて、結果的にそうなっていることが個人的には面白い。それが映像として残る意味であり、そうやって歴史は形作られていくのである*1

 一方で、映像に残らなかったものがある。と、言い出すとキリがないのだが、ここで取り上げたいのは「前説」、または「影ナレ」と言われていたパートである。

 Part1では山寺宏一さんのナレーション、Part2ではファンタジーな世界観と*2、7人が壇上に現れる前から、様々に趣向を凝らして客席を沸かせていたのがHOMEツアーであったところ、Part3においては、キャラクタとしての7人による寸劇、そして下野紘さん演じる大田邦良の暑苦しい時間が、私たちを楽しませてくれたのだ。各会場・各日程で脚本が変化する仕掛けも相まって、「次は何が来るのか」と、ライブの魅力を引き立たせていたのである。

 また、単に楽しい催しというだけではない。「解散」が持つ意味の大きさもあってか、声優ユニットとしてのWake Up, Girls!に焦点が当たっていたHOMEツアーにおいて、この前説は、Part1・2のリーディングライブと並び、キャラクタたちとの数少ない接触点だったと言える。そんな前説が、本BDには収録されていない。それを残念に思わない、と言えば嘘になるが、文句があるわけでもない。特に仙台公演の前説は、収録が難しい内容ではなかったはずだから、構成上の判断ということだろう。

 さて、スピーカーから聞こえてくるキャラクタの声を聴いて、当時の私が考えていたのは、そんな前説だけに登場する「7人」と「1人」は、このツアー中どこにいて、何を見ていたのか、ということである。言い換えれば、私たちが前説として聴いたものは何だったのか、ということだ。

 脚本を担当されたのは、メンバーの一人である吉岡茉祐さんであり、メタネタも豊富だったため、いかに観客を楽しませるかとの視点で作られたように伺えるから、ごちゃごちゃとこねくり回す話ではないのだと思う。しかし、吉岡さんなら、何にしても手を抜かない気もする。というわけで、いつも通り考えてみよう。そしていつも通り記憶は曖昧なので、認識の違いがあったらば大変恐縮である、と予防線を張りつつ、まずは各会場でどのような前説があったのか、できる限り思い出していこう。(5000字程度)

*1:モノとしては4公演の映像を混ぜて構成しているのか

*2:どちらも客入れのBGMまで含めて

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イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会(盛岡公演)に行ってきました(あるいは、「歌い継がれること」について。)

 イーハトーヴシンガーズの皆さんと出会ったのは半年前、2018年12月9日のこと。岩手県民会館で開催された、声優ユニットWake Up, Girls!のライブツアーで、初めてその歌を聴いたのでした。他の要素のせいもありましたが、WUGちゃんとともに作り上げられた舞台上の世界が、とても感動的であったのを覚えています。当時の記事を読み返すと、なかなかに大げさな表現を使っていますが、嘘を書いているわけではなく、ただただそういうものだったのです。

sorobanya.hatenablog.com

 『イーハトーヴの風』『旅立ちの時』そして、やはり何よりも、あの日のために合唱曲としてアレンジされた『言の葉 青葉』は、まさにそこでしか聴くことのできない作品だったのであり、薄れゆく記憶の中で、今もなお輝きを放つ存在であることは、言うまでもありません。だから、その曲を聴ける機会があるというなら、行かない選択肢はない。また、WUGを知らなければ生まれなかった、自分とイーハトーヴシンガーズさんとのご縁を大切にしたい。西の人間が、東北の合唱団を知る機会なぞ、本来は無きに等しかったはずですから。

 というわけで、6月8日(土)に岩手県盛岡市・都南文化会館(キャラホール)で実施された『イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会』に行ってきました。振り返ると、合唱経験は小中高の授業でやったぐらい。クラシックなんてもってのほかな自分が、はたして伺っていいものか。心配する私を笑顔にしてくれたのは、常任指揮者・太田代将孝さんのツイートでした。

 何たる心遣いか…!(ワグナーブレードと草ブレードをカバンに入れる)

 とはいえ主役はシンガーズの皆さまであり、私は異質な存在。邪魔しない程度にお邪魔しましょう。以下は本公演の感想となります。例によって公演に関係のない道中記、公演のネタバレ、ポエム等々を含み、記憶を頼った不正確な記述となる点につき、ご了承いただければ幸いです。なお、好きな合唱曲は『心の瞳』『COSMOS』『Tomorrow』です。よろしくお願いいたします。(11000字程度・流し読み推奨)

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『MACROSS CROSSOVER LIVE 2019』に行ってきました(あるいは、「長く愛されるコンテンツ」の魅力とは。)

 約一年ぶりに幕張へと行ってきました。目的は『MACROSS CROSSOVER LIVE 2019』。マクロスについては、フロンティアは何とか分かる程度の知識しかなく、そんな奴がこのようなオールスターライブに伺っていいものか迷いつつも、やはりこういうものは行けるなら行っておくべき。というわけで、飯島真理さんに始まって、福山芳樹さんとチエ・カジウラさん率いるFIRE BOMBER、我々の盟友であるワグナー中林芽依ことMay'nさんに中島愛さん、そしてワルキューレ錚々たる皆さんで織りなすパフォーマンスを楽しむべく、6/2(日)公演に参加してきました。本記事は、主として自分の記憶に基づく、マクロスの知識がない人間の不正確な感想となります。よろしくお願いいたします。(6000字程度) 

 

aniuta.co.jp

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小さな一歩を踏み出す先は

 「これまでの人生でどのような決断をしましたか?」と訊かれたのは、就職活動の時だったように思う。そんな質問がくるとは予想していなかったので、その場で思いついた言葉を適当に並べ立て、予想を裏切らず祈られることとなった。

 その会社がどこであったのかは、もはや思い出せないのだが、面接後に「決断と言われてもなあ」と悩んだ記憶は残っている。全くもって思いつかなかったのである。ないわけではない。学生時代の部活選びとか、志望校選びとか、それこそ会社選びだって、その度に迷いに迷って「選択」をしてきた。しかし、それらを「決断」と称してよいものだろうか。幸運にも決断らしい決断をせずに生きてこられた、というのが実際のところかもしれない。

 有り体に言えば、それなりに、先人が敷いてくれたレールに沿ってここまで来たわけである。悪いこととは思わないが、面白みのねえ奴だなあとは思う。そうは言っても、二十歳を超えた人間が簡単に生まれ変われるわけでもなく、そんな自分を認めて、のらりくらりと進んでいくことが求められるのだろう。

 

 そのような心持ちで、のらりくらりと働いて数年、私は会社から異動の内示を受けた。特段驚くことではなかった。というのも、部署の在籍年数からして、そろそろそうなることが容易に想像できていたからである。誰彼も人事ローテーションの渦から逃げることはできないのだ。ただ想定外だったのは、それが見知らぬ土地への転居を伴う異動であり、さらには異動先での職務が、現職と全くと言っていいほど無関係なことであった。

 まあ、一言で表せば「総合職の宿命」である。私は何かの専門性を買われて入社したわけではなく、また現時点で求められているわけでもない。とはいえ、希望した部署で意気揚々と働いていた身としては、それなりにショックで、「他の仕事を知って大きくなって帰ってきてほしい!」との上司の言葉を聞いたときには、「どっかで聞いたことのあるセリフだ!!」とある種の感動を覚えて笑ってしまったけれども、だからといって気持ちが安らぐわけではなかった。しかし、なったものは仕方がない。諦めは悪いが物分りはいいのが私である。もとより、環境の変化が嫌いなわけではない。期待と不安をないまぜにして、新天地へと赴いたのだった。

 

 「部門変われば別会社」とはよく言ったもので、頭では理解していたつもりであったが、やはり実際に経験するのとでは程度が違う。そもそも職種が全く違うのだから、当たり前ではあるのだが、物事の進め方から、飲み会の精算方法に至るまで、ありとあらゆる点がこれまでとは異なる。それだけでもあたふたするのに、「勝手知らない土地での生活」という要素が加わるともう忙しい。「知らない仕事」に「知らない環境」のダブルパンチは、私にとって心身ともにそれなりの負担となっていたものの、とある声優ユニットのライブで英気を養い、そのレポートを書いて感情を発散させることで、大きな変調をきたすことはなく、無事に日々を過ごせていたのだった。

 次第に新たな仕事と環境にも慣れ、自分のペースを取り戻しつつあったのだが、同時にまた別の要素が私を悩ませ始めた。「そもそもこの仕事に慣れることは望ましいのか」との疑問が頭から離れないのである。正直なところ、前職と比べて全く興味がわかず、先に繋がる明確な専門性が積めるわけでもない。もちろん、だからといって食うに困るわけではなく、傍若無人な上司や同僚が居るわけでもない。

 しかし、45歳で唐突に会社から放逐されてしまうような時代を迎える中、はたして自分はこのままでいいのか、と青臭い感情が日に日に大きくなり、私を包み込んでいった。根源にあるのは、巨大で漠然とした将来への不安と、とかく何事にも迷いを募らせる、自縄自縛的な自らの悪しき行動様式であった。

 私は決して意識の高い人間ではないが、どん底に低いわけでもない。「糧にならない」と認識"してしまっている"状況は人並みに辛いものがあった。数年後には以前の職場へ戻れる可能性もあるが、確定的なことは何一つないのがサラリーマンである。ただただ会社に身を委ねた結果、よく分からぬままに老いて死を迎えるのであれば、ここは一つ、自らの意思で一歩を踏み出してみるべきではないか。「転職」を考え始めるまでに、そう長い時間はかからなかった。

 

 そうと決まれば善は急げだ。しかし、実績の少ない総合職の人間がとれる選択肢は少ない。聞くところによれば、世のイケイケWebエンジニアは、GitHubだのQiitaだのを用いて、積極的に自らのポートフォリオを公開することで、様々な会社から声をかけられることがあるという。リファラル採用なんてものも盛んらしい。しかし、そんな世界と全く無関係の私は、検索エンジンと転職エージェントを駆使して求人を探すほかなかった。

 条件は、まずもって自分の希望する職種であること。そして、自分の好きな「コンテンツ」に関する事業を展開していることの二点であった。前者については言わずもがな。後者については、「好きなものは仕事にすべきではない」とのお題目で取り組んだ、就職活動の後悔からくるものだ。当時は疑問を持たなかったが、せめて応募ぐらいしても良かったのではないかと、心に小さなトゲが残っていた。新たなフィールドに選ぶことで、その想いに終止符を打とうと考えたのである。

 

 探し始めてみると、やはり売り手市場だからか、それとも単に出入りが激しい業界であるからか、私の経歴でも応募できそうな求人は一定数あり、あまり深くは考えず、気になった門をとりあえず叩いていくことにした。

 ある会社は書類選考で落ちた。曰く「できれば業界経験者がいい」から。そりゃそうだ。ぐうの音も出ない。またある会社は面接で落ちた。曰く「自主性が感じられない」から。否定はできない。なかなか手厳しいが、そのような正直ベースのフィードバックをくれるだけ、真摯な会社だったと言えよう。

 そうして、一方では落ち、一方では進みを繰り返していった。この時、面接をこなすなかで、転職活動自体に対する若干の違和感を持ち始めていたのだが、とりあえずは横に置き、そんなこんなで最終的には、数社からオファーを頂くこととなった。この経歴でも内定はでるのだなと、率直に安心したが、自分自身の能力が評価されたというよりかは、単に「若さ」というカードが強かったのだろう。

 

 いよいよ転職が現実味を帯びてきたところで、膨れ上がっていた違和感に、身を正して向き合うことにした。一体その正体は何であるのか。深く考えるまでもなく、答えには容易にたどり着いた。元も子もない話ではあるが、私は労働者として身を置くほどに、「コンテンツ」一般に対して熱意があるわけではなく、また言うほど現職を気に入っていないわけでもなかったのである。

 一口に「コンテンツ」が好きと言っても、その内実が一様でないのは当然である。例えば私はスマホのゲームをやらないし、アニメを期ごとにしっかりと追いかけているわけでもない。基本的には嗜好が偏っていて、何につけても周回遅れである。また、「○○という作品」が好きであるとは言えるが、「○○を作っている△△という会社のすべて」が好きかと言われればそんなことはない。だから、どのような会社に入っても、あるいは単に「コンテンツ」の業界に属しているという事実だけをもってして、自分のモチベーションが維持向上するかは非常に怪しく、却って今よりも不幸になるように思われた。

 また、選考を進む中で、今の仕事を見直す機会が多々あった。慣れてきたことも追い風になったのだろう。対象自体への興味が薄いのは変わらないのだが、日々生じる見知らぬ課題を捌くこと自体は楽しく、試行錯誤することで目にかけてくれる人も増え、社内における自己承認欲求も満たされる。「専門性が~」と面接で語るのも本心である。しかし皮肉なことに、転職活動を始め、冷静に今を見つめることで、「糧にならないものなどない」と思えるほどに、現職に対して前向きに取り組めるようになっていたのであった。

 さらに言えば、面接で自分の経歴が一定の評価を得たり、「今の仕事を楽しそうに話すのが良い」とのフィードバックを得た機会が多かったこともある。他者からは「自分の現状に満足感を持っている」ように見えるわけだ。それをわざわざ否認する必要性もない。そもそも、今の会社も適当に選んだわけではないのであって、結局はそういうことなのだろう。

 約1クールの迷いの末、私は「転職しない」選択をした。傍から見れば、独りで空回りしていただけで、全くもってバカバカしく思われるだろう。要は新しい環境に慣れぬまま、混乱している状態で始めた転職活動の軸が、非常にブレブレだったというだけのことだ。そして慣れてくるとともに、落ち着いて状況を確かめられるようになった。何ともまあよくある話で、私らしく面白みがない。しかし、私にとってその選択は小さくも重い一歩であり、久しぶりの、ともすれば初めての自覚的な決断であった。

 

 とはいえ、専門性の問題は残るし、「迷い」が全て消えたわけでもない。終身雇用の崩壊やらAIの活用やらが声高に叫ばれる世の中で、「普通に働いて生きる」ことのハードルはますます高くなっていくばかりである。今普通に働いている人間のなかで、私のような「総合職」として括られる存在は、早々に淘汰の対象となってしまうのだろう。やはりどうにかしなければ。何かしなければ。しかし、そもそも私ごときが積める専門性とはなんだろうか。それは意味があるものなのだろうか。根本的に何かを勘違いしているのではないか。不安が尽きることはない。

 その状況を「なんとかなるやろ」と思えるほど楽観的ではなく、「どうでもいいわ」と片付けられるほど潔いわけでもなく、かといって身を削って頑張れるわけでもない。我ながら、全くもって面倒くさい人間である。

 どれだけ悩んでも、なるようにしかならないのが現実であり、悩むだけ無駄だと思うことも多々ある。言うまでもなく、そんなことを考えるのは自分から疲れにいくようなもので、実際しんどい。

 しかし、そうして迷った先に決断がある。決断の先に新しい世界がある。遅ればせながら、そういうことを私は知った。悩んだ日々は決して無駄にならないのである。だから、私はこれからも迷い続け、決断を下していく。そうやって小さな一歩を、また踏み出すのだ。迷った後のその先の世界を見るために。そこに何があるのかまでは、分かっていないけれども。

何が記憶に残ったか。何を記録に残したか。―Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - PARTⅠ・ⅡのBDを見ての雑記―

 人間は良くも悪くも忘れる動物であるが、その性質はなかなかにままならない。忘れたくないことを忘れる。忘れたいのにいつまでも覚えている。全くもってままならないものである。

 1年前の今日、私は何をしていたか。もちろん記憶はおぼろげだが、記録を辿ればすぐに分かる。何を隠そうブログの記事を書いていた。そして、何について書いていたのかと言えば、その前日に初めて観た、声優ユニットWake Up, Girls!のライブについてであった。

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 幕張メッセのイベントホールで開催された『Green Leaves Fes』。本公演は、残念ながら、現時点ではBD化等されておらず、当時の様子を観るには自分の記憶を頼るしかない。だから「映像があればなあ。記録があればなあ。」と思うところはある。これまた残念なことに、私の脳容量では、その光景を仔細に思い出すことが困難だからだ。ただそれでも、「ある種の衝撃を受けた」との抽象的な記憶が、私の中にはしっかりと残っている。

 2019年3月をもって、声優ユニットWake Up, Girls!は約6年間の活動に幕を閉じた。『HOME』と銘打たれ、最後の約八ヶ月を通して実施されたライブツアー(以下、「HOMEツアー」という。)は、年を跨いでの三部構成。インフルエンザも麻疹も何のその。メンバー誰一人欠けることなく、7人は(そしてワグナーも)全12会場33公演を走りきった。一つ一つが忘れられない公演であり、忘れたくない公演であり、そうであるから私も、一つが終わる度に、その記憶を無心に文字へおこした。決して正確とは言えないが、もとよりそんなことは自分に期待していない。とにかく「何かがあった」ことを私は覚えていたかったのであり、それゆえに不格好な記録を残していったのである。

 ところで、残された「記録」はどういう意味を持つだろうか。より正確に言えば、私のような一ファンではなく、「公式の立場によって残された記録」はどういう意味を持つだろうか。思うに、それは「正しい」歴史を構成する資料の一つとなる。当事者(語り部)がいなくなった状況下において、歴史を教えてくれるのは資料だけである。資料を通して何があったのかを知れる。資料にないことは知れないし、実際にかかわらず、資料の示す内容が、すなわち真実だと解されてしまいうる点は否定できないだろう。一歩間違えれば大本営発表だが、記録を残す側は「後の世代にどのように解釈してほしいか」を念頭に置くことができるのである。

 3月29日、HOMEツアーPart1のBDが発売された。

  収録されているのは千秋楽・大宮公演(夜)のみ。ファンクラブ特典を付けて売り出すわけでもない、例によってシンプルなケースにシンプルな収録内容。らしいと言えばそうかもしれない。個人的には、省スペースでとてもありがたい仕様である。

 それはそれとして内容の話である。ANIMAXでの先行放送を視聴した時から思っていたのだが、全編を通して視聴し、重ねて思う。このザラついた画作りは何なんだろう。 

 「ザラついた」という表現が適切かは分からないが、とにかく私は、このような色調で収録されたライブ映像を見たことがなかった。とはいえ、私が近時で見たものといえば、WUGの過去作を始めとして、アイマス9thにデレマス3rd、そしてワルキューレ3rdぐらいしかないので、もしかすると最近はこういうのが流行りなのかもしれない。もしくは、照明やスクリーンの影響か。はたまたカメラの性能でそうなっているだけか。3月以降に、どこかでどなたかが語っていたら恐縮だが、要はこの画作りが意図的なのかそうではないのか、私は分かっていない。

 そう思いながら、先週に届いた5周年記念ライブの映像を見てみると……ザラついていない。ということは、意図的な編集と考えた方が(もちろん本当のところは知らないが)面白そうである。

 こうすることで、映像にはどのような効果が生じるだろうか。素人目には、端的に「映像作品感」が増す。どこか現実感がないのである*1。カメラワークや照明効果もそれを倍加させている。「当時のライブを収録した映像」というかは、もはや「ライブをテーマにした創作物」のように見えてくる。通常であれば、視聴者を現実に引き戻しかねない映像中の観客も、この場においては、もはや出演者の集合体として存在しているかのようだ。はたして、数年後(もっと長いスパンでもいいが)にワグナーでも何でもない人が、この映像を見た時にはどう感じるだろうか。大げさにはなるが、Wake Up, Girls!という1コンテンツの劇中劇のように感じられるのではないか。

 加えてセットリストはキレイでありオシャレで格好よくてかわいい。過度におちゃらけるわけではないMCや、キャラを演じるリーディングライブは楽しくて面白く、「いろいろなことができるユニットだったんだな」ということが分かる。ファンとしての贔屓目はあろう。しかし、このBDを見た人は「いいユニットがいたんだな」と感じてくれるのではないだろうか。だから私は、「そういう風に見てもらえる」ように、比較的きっちりしっかりキレイにまとまった構成の映像を残しているのではないか、言い換えれば、それが「記録」として残したかった姿なのではないかと、ぼんやり考えていた。

 続く4月26日には、HOMEツアーPart2のBDが発売された。

Wake Up, Girls!  FINAL TOUR - HOME -~ PART II FANTASIA ~ [Blu-ray]

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART II FANTASIA ~ [Blu-ray]

 

  Part1のそれと同様、収録されているのは数ある中の一公演。千秋楽・横須賀公演(夜)のみ。印象的だったのは、あの楽しかったクリスマス企画部分が、ほぼ全編カットされていたことである。歌のお姉さんにカラオケの二人、とらドラの三人もここにはいない。

 しかし、そうすることによって、結果的には内容全体が引き締まったように思われる。権利関係上そうなっただけの気もするが、ここもまた、「ワグナーでも何でもない人がこの映像を見たときにどう感じるか」との尺度で考えてみよう。後にSSA発表の瞬間を迎えることを考えると、リーディングライブに重ねて、クリスマス企画でさらに緊張を緩和させる必要性はない。そこはFANTASIAにおける熱狂が最高潮に達する瞬間であるからだ(客席を捉えたあのカメラワークもそれを引き立てるための演出であろう)。後の視聴者がPart1から順番に見るだろうことを前提にすれば、彼らはPart1で7人が展開するエンターテインメントの基盤を理解した上で、Part2スキノスキルからJewelry Wonderland一連の流れでその多様さを認識し、リーディングライブで役者としての姿を見た後、雫の冠で緊張を高めきった上で、SSAからのBeyond the Bottomによってそれを爆発させるのである。*2

 残された記録は一定の時間を経て歴史となる。私は映像を見て、当時を追体験*3しながら、彼女たちが何を残したかったのかを考える。どのようなWake Up, Girls!の姿を残したかったのかを考える。楽しいだけがWUGではない。しかし悲しいだけがWUGでもない。そういった多面性を持つWUGが、一般市場に流通する映像として、歴史として残したかった姿とは何であるのか。それは抽象的には「すごい7人」であり、具体的には「素晴らしい楽曲群を背中に、様々な舞台効果を最大限に活用し、練度の高いダンスと歌をもって、ステージを媒介に一つの作品を生み出すことのできる表現者7人」の姿だったのではないか、などと考えるのである。

 ところで、「一般市場に」と書いたのは、そうではないがこの世に残る映像もあるからだ。すなわち、ANIMAXで放送された大宮公演ドキュメンタリー*4、わぐらぶに掲載された動画、東北6県ツアーパンフレットURAに収録された映像たちである。

 これらは、HOMEツアーBD群が紡ぐストーリーを補うものである。ともすれば、それら自体に特典映像として収録する選択肢もあったであろうに、そうはしなかった。単に商業的な判断からであろうが、結果としてこれらの映像を見るのは、当時の時点でわぐらぶに入会する程度にはワグナーであった人間に限られ、言うまでもなく、2019年4月以降にWUGを知った人がたどり着くのは難しい。したがって、間違いなく「記録」として残されているのだが、しかし「記録」ではないように思える。

 また、市原公演のワクワクや、岸和田・座間公演のワチャワチャ、そして各凱旋公演の感動の多くが映像として記録に残らない。それらもまた、WUGの魅力を表す重要な要素であるはずなのに、彼女たちの想いの多くが残らない。あるのは薄ぼんやりとした個人的な記憶だけである。

 だから私は、7人が私たちの「記憶」の中に残したかった姿と、「記録」として残したかった姿の間隙に想いを馳せる。5月31日にはPart3のBDが発売される。はたして、収録映像はどのような内容になるだろうか*5。それを見たとき、私は何を受け取るだろうか。自覚的に言えば、本記事の全ては与太話にすぎない。しかし、このようなことをつらつらと考える程度には、私の中では、「声優ユニットとしてのWake Up, Girls!」というコンテンツもまだ終わっていないのである*6。もちろん、上手に忘れつつあると、胸を張って言うことはできるのだが。

*1:ライブ自体がそうであっただけと言えるかもしれないが。

*2:「何かよくわからんが鳥肌がたった」とは、この映像を見た母の談である。(どうでもいい参考情報)

*3:などと言いつつ、大宮夜は参加していないから追いかけることはできないのだが。

*4:これが放映されたのはPart3終了後であったが、映像終わりの言葉を聞くに、本来はもう少し早く放送するはずだったのではないかと思っている。加えて言えば、Part2,3の分も制作するつもりだったのではと邪推する。

*5:仙台二日目夜であろうことは前提として。

*6:解散後にはメンバー間でもほぼ触れられなくなるんだろうなあと勝手に思っていたら全然そんなことはなく、物事を悪い方に考えるのはよくないなあと思った。