死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

今日という日があったということを―Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART Ⅲ KADODE ~宮城公演に行ってきました―

 2019年2月24日(日)の21時を過ぎた頃、前年7月14日に始まり、約半年間に亘って展開されてきた『Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -(以下、「ツアー」という。)』は 千秋楽を迎えた。全12会場、公演数にして33。思い返せば、台風直撃の座間公演や、直前に地震が生じた熊本公演等、開催自体が危ぶまれた瞬間もあったが、ともあれ無事に全公演を終えられたことを素直に祝い、そして喜びたい。何よりも、舞台上の7人が1人も欠けることなく最後まで走りきれた*1ことを、そしてその姿を見届けられたことを、私個人としてはこの上なく嬉しく思っている。本当にお疲れさまでした。

 「SSAはエクストラステージである」と彼女たちは言った。だからこの公演が、本来の意味でのラストなのだと。そうか、と私は思った。遅きに失した感があったものの、自分自身の考えを改める必要があった。ツアーのラストで「WUGちゃんたちは何を見せてくれるのか」ということではないのだ。「私たちとWUGちゃんは何を見るか」ということなのだ。

 狭義での千秋楽公演である24日の夜公演は、一言で表せば「楽しかった」。楽しいからこそ終わるのが惜しく感じられた。おそらく、映像化されるのは本公演であろう。とすれば、それこそが、声優ユニットのWake Up, Girls!が「記録」として残したかった世界なのだと思っている。ところどころで崩れそうにはなっていたし、最後のMCでは一部決壊も生じたわけではあるが、6年間の集大成として、楽しくて、明るくて、前向きな世界を彼女たちは作り、そして残そうとしたのだと思う。実際のところ、それはとても美しい物語だ。あとから見て、「楽しかったなあ」と想いを馳せることができるだろう。

 だからこそ、私は記録に残らない3公演の「記憶」をいかなる形であれ残しておく必要があると思う。決して「楽しい」だけではなかった記憶を、おぼろげで蛇足にしかならない記憶を、それでも私はできるだけ書き留めておきたい。

 以下にはツアー宮城公演およびツアー自体のネタバレが含まれている。また、公演の全日程に参加した一人間の記憶のみを頼りにした記述であり、正確性は保証されない。さらには、公演内容そのものではない事項への言及を含む。したがって、オタクの戯言以上の意味合いは持たない。なお悪いことに長文である(10000字程度)。まことに恐縮ながら、お読みいただける場合には、上記事項を了承いただけると幸いである。このようなどうしようもない前置きのもと、しかし私は書き残しておく。その一日一日において、今日という日があったということを。

聖地へ 

 縁もゆかりもない土地に対して、「ただいま」という感情を抱くのは不思議なものだ。一日早く仙台駅に降りてまず得られたのは「帰ってきたな」との感覚。岩手公演の帰りに寄ったときには全くなかったから、それだけツアーで過ごした時間が、自分の中では大きかったのだろう。

 また、(これはEBeanSの大型看板を目の当たりしたからだとも思うが)街全体がWUGそのものとワグナーを護り、後押ししてくれているように感じられた。だからやはり仙台は聖地であり、ホームなのだろう。そして、自分自身がそのような感覚を得られるようになったことを嬉しく思った。

 前乗りしたのは石巻に行くためであった。より具体的には宮城県慶長使節船ミュージアム。通称をサン・ファン館とするこの施設は、楽曲『TUNAGO』のMVロケ地の一つである。

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 Part3における各演目の演出は多種多様だ。それぞれにおいて、語るには多すぎる魅力がある。なかでも、TUNAGOの太陽のような照明は、最も印象的な演出の一つだ。朝焼けとも夕焼けともとれるその存在は、曲中で焚かれるスモークと相まって、幻想的でありながらも明媚な風景をイメージさせる。Part3を通して、アンコール前ラストの曲として時空を区切り、会場全体を一つに繋ぐ重責を果たし続けたこの曲に敬意を払うべく、私は千秋楽を迎える前に、この地を訪れておくべきだと思っていた。

 ところで、思えばワンマン電車の乗り方を教えてくれたのもWUGであった。他にも、世の中にはディーゼルで走る列車があることや、乗車時に整理券をとる電車があることも。くだらない話だと思うだろう。確かに、言えば言うほど自分の無知をさらけ出すだけで恥ずかしい限りだ。しかし、WUGと出会ってから、いかに自分が狭い世界で生きてきたのかを実感する機会が増えたのは事実であって、それを知れたことをまたありがたく思うのである。

 という話をしたのは、石巻駅へと到着した後、女川行に乗り換えようとしたところ、やってくるのが1時間後であることに驚いたからである。どこのコミュニティバスだ。いや、驚くほうがおかしいのは仰る通りで、事前に経路を調べていたときに私が時間を見間違えていただけである。この合間に徒歩で日和山公園を目指すルートもとり得たが、万が一を考え駅横の喫茶店で待つこととした。

 

 サン・ファン館は、最寄りの渡波駅から徒歩約27分の場所に位置する。ワグナー的にはよくある距離だ。目新しい景色のおかげで体感時間はより短く感じられた。

 道中、3.11の津波の浸水深を示す表示を目にした。今私が歩いているこの道も、あの日の波にのまれた場所なのだ。そしてそもそも、ここに来るまでに乗ってきた仙石線石巻線も。やはり私は何も知らない。

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 目的地にはMVで見た光景が広がっていた。

  イヤホンからTUNAGOを流しつつ、7人と同じ場所に立ってみる。あの日見ていた景色は、今私が見ているものと同じだろうか。答えは分かりきっている。それでも私は、このときWake Up, Girls!と繋がれた気がした。

 サン・ファン館の目玉であるサン・ファン・バウティスタ号もまた、あの日に津波に襲われたのであり、併置された浸水深表示がその事態の大きさを物語っていた。津波自体には耐え抜き、また強風で折れたマストも復元され、外形的には健全性が保たれているように見えたのだが、そうは言っても内部構造へのダメージは大きいらしく、2020年以降には解体される見込みだと聞いた。

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 いつを生年とするのかはよく分からないが、1992年4月17日に起工式がなされたということだから、言わば自分と同世代である。とすると、WUGちゃんとも同世代だ。同じだけの時間を生きてきて、同じ震災を経験をした船が、その役目を終えようとしている事実に感じたのは寂しさか。それとも感謝か。いずれにせよ、一つのご縁であることは間違いない。この船がある内に再びこの地を訪れよ、ということなのかもしれないなと感じた。「また来るね」という無責任な約束をして、私はホテルへの帰路についた。

 

一日目

 ペデストリアンデッキ東北大学応援団に見送られながら、私は仙台サンプラザホールへと向かった。駅の東側に下りるのは初めてだ。広くて歩きやすい歩道は、それゆえに歩きながら考える余地を与えてくれる。これまでにツアーで見た景色を思い返しながら、一歩ずつしっかりと仙台の地を踏みしめていった。

 会場に到着したものの、例によって開場までは時間がある。物販に並ぼうという気もない私は、楽天生命パーク宮城でEAGLE BRIDGEを見た後、『7 Girls War』のMVの舞台の一つである榴岡公園に向かった。ツアー会場の近くには、往々にして「平穏」を感じられる場所がある。青空の下、仙台の息遣いが聞こえるなかで、私は開演の時を待った。

前説

 前説を聴いて思い出したのは熊本公演であり、その意味で終着点にふさわしい脚本だったと言えるだろう。明るい調子の中に、ポイントで重たい言葉を入れてくる。「(いつか消えてしまう)記録ではなくて、一人ひとりの記憶の中なら永遠に生き続ける」というのは、狭く言えばツアー自体を表しているものでもある。全33公演の内、記録に残るのはたった3公演だろう。しかし決して忘れたくない、忘れられようもない記憶がたくさんある。私はそれらを胸に生きていくのだろう。

 そして「勝手に殺すなっての」と菊間夏夜の一言は、解散発表直後に「(解散してもFIVE STARSは)終わらないよ。終わらせないでよ」と苦笑いで言った田中さんに通じるものがある。でもそれはそうなのだ。最初から散々言っているではないか。WUGというコンテンツは続くんだって。

 加えて、ここまでともに走り抜けてきた大田さんに対しても感謝の意を伝えよう。「欠けなくてよかった」のはワグナーたる大田さんも含めてのことだ。最後まで一緒に見届けてくれてありがとう。

 

企画コーナー

 宮城公演は永野さんの凱旋公演であることのほかにも、色々な意味合いを抱え込んでいたように思う。ツアーの千秋楽を迎える場だということ。WUG自体の凱旋公演であること。SSAに向けた橋渡しであること。だからどのような構成にするのか、考えるのは非常に難しかったのではないかと思われる。

 永野さんのソロダンスで始まるこの時間は、永野さん自身のWUGにおける軌跡をなぞったものと言えるだろう。自身が振付をした曲。ソロイベの曲。これだけのことをやってきたんだ、ということをありありと示すプログラムは、凱旋の場にふさわしいものだ。しかし、永野さんの本質は『桜色クレッシェンド』の時間に詰まっている。

 曲中に舞台上に映し出されたのは、これまでにWUGと深い関わりを持ってきた方々の姿。楽天イーグルス、伊達武将隊、たびのレシピ、ビジュウ、熊谷屋(敬称略)。カメラが切り替わる度に客席からは歓声が上がった。ともすれば、永野さんへのサプライズ映像という文脈でもありえたその映像は、その実永野さん自身が用意したものであり、彼女がそうしたのは、会場全体で皆さんへ(ひいては仙台・東北に)「ありがとう」を伝えるためだった。その感謝の意は、(ワグナーを含む)WUG全体として伝えられていたと感じる。言い換えれば、そこに個はなかったのである。自分が主役になれる場所なのだ。けれども永野さんはそうしなかった。WUGという存在を総体的に背負った上で、自分の時間をただ感謝を伝えるために用いたのだ。

 そうやって容易に自分を消してしまうところは、岩手公演の奥野さんも思い起こさせる。その共通点を年齢や出身といったバックグラウンドに求めるのは浅はかだろうか。ともあれ、吉岡さんや青山さんが先導を切って、WUGというユニットを前へ前へと引っ張り続けてきた一方で、奥野さん、そして永野さんはその歩みが揺るがないよう、縁の下から支え続けてきたのだと私は感じている。WUGというユニットは、7人の内誰一人が欠けても成立しない。しかし、その中でも永野さんの存在がいかに大きかったのかは、6人とワグナーが彼女に投げかける表情を見るだけで分かる。だから私は、寸前に叫んだのと同じだけの気持ちを永野さんに伝えたい。WUGを支えてくれて本当にありがとうございました。

 

HIGAWARI PRINCESS

 1日目のプリンセスは奥野さんであった。スライドショーでは、永野さんとのツーショットが目立つようにも思えたが、これは上記が故の私の思い込みであろう。

 「私のプリンセスは今日が最後。しっかりと目に焼き付けてね!」という夜公演の言葉は、低く真剣味のある声で発せられ、甘々だった昼公演との対比もあって、とても重たく感じられた。

 「最後」という言葉は、(あえて言う話でもないが)この場においては多義的に感じられた。ツアーにおいてプリンセスとなるのが最後であるのはもちろんのこと、「今後WUGとして、プリンセスとして『HIGAWARI PRINCESS』を唄うことはない。」という意味の最後でもあろう。それは一つの決意表明であり、本来は頼もしく思うべきところなのだろうが、意図的か無意識か、奥野さんの声には、悲しみを無理矢理に横に置いて絞り出したかのような印象を覚え、それが尚更に私の心を締め付けた。結局私にできることは、彼女が言うように、その姿を目に焼けつけることだけであり、願わくば、それが彼女の本望であってほしいと思った。小柄な体躯からほとばしる彼女の強さを、私は決して忘れない。

 

記憶の中で生き続けるもの

 吉岡さんの「忘れないでほしい」という言葉は、彼女の本心がそのままに出た言葉であり、だからこそそこに悲痛さまで感じるほどであった。本当は「忘れてほしくない」と言いたいのではないか。しんとした一拍の間に、「当たり前だろ!」と一人のワグナーから声が上がったのは、彼女にとっての救いになっただろうか。少なくとも私は、名も姿も知らない彼に感謝している。会場に響き渡る形で、その場にいる誰もが聞こえる形で、ワグナー全員の想いを舞台上に届けることができたように思うからだ。

 言われなくとも、忘れようにも、忘れられるわけがないのである。だから私はニヤついた笑顔で7人に言いたい。「そっちこそ、私たちのこと忘れないでいてくれるんですよね?」 

 

二日目

 2月24日の朝は"雲ひとつない"青空だった。千秋楽を飾るのに、これほどおあつらえ向きな日があるだろうか。このときばかりは、「聖地が門出を祝ってくれている」とポエミーなことを言っても許される気がした。

 

ハートライン

 吉岡さんと青山さんのソロパートがその日の主役に譲られる演出は、徳島公演を経て確立されたように思われるが、そもそもこれは「当該パートで二人の名前を呼ぶ」というコールがツアー中に完成しなければ*2存在し得なかったものであり、その意味では記念すべきツアー上の産物の一つと言えるだろう。

 センターに引きずられてきた永野さんは、マイクを向けられても「そんなのいいよ」と言わんばかりの謙虚な表情で、会場に「あいちゃん」コールがあふれる中でも、遠慮がちな歌唱にとどまり、結果的には3人で歌っている状態になっていた。これもまた永野さんらしさであろう。

 

「終わりたくない」

 別れを惜しむ気持ちの源泉には二つのタイプがあると思う。一つは「楽しい」という気持ち。楽しいからこそ、この時間が永遠に続いてほしい、終わってほしくないという気持ち。

 もう一つは「寂しい」という気持ちだ。悲しいと言い換えてもいいだろう。終りを迎えるのが寂しくて悲しい。そんな気持ちになりたくないから、今の時間がずっと続いてほしい。

 これは単なる言葉遊びかもしれない。しかし私は、24日昼・夜公演の舞台上から、この似て非なる2つの感情を捉えた。昼公演に存在したのは後者であった。

 

田中美海は人間である

 完成されすぎていると、反対に作り物らしく感じられてしまうことがある。この場においては、単にプロ意識と人間味は反比例すると言ったほうが分かりやすいかもしれない。私が田中さんを知ってから、彼女に抱き続けている印象がそれである。もし、なんでもナンバーワンのお題が「メンバーの中で一番『いつでも微笑んでいるドール』っぽいのは?」であったのならば、私はいの一番に田中さんの名前を挙げるだろう。

 田中さんには「完璧」という言葉が似合う。自分が求められている役割を理解した上で、それをいとも簡単に果たしきる。そのベースには、そうできるだけの実力を備えていることがあるわけで、さらにはそのために努力を惜しまないからこそなのだろうが、そういった事情を自分から明らかにすることはない。だから私には田中さんの底が見えない。舞台上の田中さんは、いつも「舞台上の田中美海に求められること」を正確にこなしていっているように思えてしまう*3

 そう考えると、底どころかその輪郭さえ捉えられていないのかもしれない。熊本公演において、青山さんを評する際に、田中さんは「自分だったら絶対に人前で弱味を見せることはしない」と言い切った。そう言い切れる田中さんの姿勢を私は尊敬するとともに、私が田中さんの内側を垣間見る機会は一生ないのだろうなと思っていた。

 だからこの日に田中さんの上げた悲鳴は、今も私の頭にこびれついて離れない。ひねくれた私も、流石にそれが作られたものだったとは思えない。少しハスキーがかった透き通る声で、しかし子どものように泣く姿を私は3階から見つめていた。頑張れと簡単には言えない。言葉がない。

 6年という歳月はそれだけ重い。特に年少組からしてみれば、人生の四分の一以上の時間になる。小学校と同じだけの時間をWUGで過ごしたのだ。その区切りのときについて、何も思わないはずがないであろう。だって田中さんは人間なのだから。感情を持った人間なのだから。

 「感情をのせて唄うことがうまくできない」と彼女は言った。演技をする上では直感ではなく理論派なのだろう。ともすると、感情をのせようとしても、「感情をのせるとはこういうことだ」と整理した上で取り組んでしまうのかもしれない。恐らくは、それもまた他者が羨む才能なのだと思う。しかし、彼女にとっては関係ない。そこには「自分にはできない」という事実しかない。

 「今日は感情をのせて唄うよう意識したが、はたしてできていただろうか」と彼女は客席に問うた。高みを目指し続ける田中さんに対して、私のような素人が投げかける言葉がどれほどの意味を持つのかは分からないが、田中さんは決してドールではない、紛うことなく人間であると伝えたい。

 縷々として書きながら何だが、純然たる単推しでもなければ、彼女が出ている媒体全てをチェックしているわけでもない人間がとやかく言うのは本来憚られるべきであろう。しかし私は、そうは言っても彼女のファンである。少なくともWUGにおける彼女のファンである。だからとは言わないが、もう少しだけ話しをすることを許してほしい。

 田中さんは私とWUGを繋いでくれたその人である。田中さんがいなければ、私がWUGに興味を持つことはなかっただろうし、ひいては今のこの状況も存在しなかった。こういったことは直接手紙を送るなり何なりして、どうにかして実際に伝えるべきことなのだろうが、ひとまずはどこともわからないこの場所に書いておくことにする。

 WUGと私を繋いでくれてありがとう。この世界を教えてくれてありがとう。本当に、本当に、ありがとうございました。

 

終りがあるからこそ輝く

 永野さんの言ったこの言葉は、私の想いを代弁してくれているかのように感じられた。続くのが悪いということではない。永遠を願うものもある。一方で、一つの区切りが、そのものの美しさを増大させることがあることも事実である。

 生者必滅会者定離。言うまでもなく、人の世においては終わりがあることが常である。その方が、人間を描いてきたWUGにふさわしいとも言えるだろう。だから私は存外スッキリとしているのである。少なくとも、表面的には。

 

「受け容れられない」ということを受け容れる

 「当たり前は当たり前じゃない」というのは、ツアーを通して何度も何度も掲げられてきた言葉だ。ライブができること、それを見られること。幸運なことに、私は全会場かつほぼ全ての公演を目にすることができたが、それもまた当然ではない。奥野さんは、客席に対し昼公演が最後の人、夜公演が最後の人、そしてSSAが最後である人それぞれに対して、丁寧に、真摯に感謝の言葉を述べられた。

 昨日送られた手紙の中に、「今でもまだ解散を受け容れられない」と書かれたものがあったそうだ。奥野さんが「私もそうだしな…」とつぶやくのを聴いて、私は再び解散発表時の奥野さんの言葉を思い出していた。「もったいない」という素直な言葉だ。

 結局みんな同じなのだ。図らずも絶頂で終えられることを良かったと思う。変わらない結果を仕方ないと思う。しかしどこかで整理しきれない想いがある。

 奥野さんは、そんなみんなの想いを受け容れると言う。「受け容れられない」ということを受け容れると言う。それは自分の想いも含めてということだろう。泣きそうになりながら、声を震わせながら、しかし力強く言う。

 ああ、やっぱりこの人は優しい。そして強い。一人で全てを受けとめる必要なんてないのに。だのにそうしようとする。私が「受け容れられない」こともまた、奥野さんが受け容れてしまうのであれば、それは私の本望ではない。そんな重荷を背負わせたくない。であれば、私は受け容れるべきなのだろうし、そうできると思っている。

 

あなたは何を憶えていますか

  2月24日夜公演。すなわち、狭義でのツアー千秋楽公演は「楽しい」という気持ちで幕を閉じた。こんなに楽しい時間には終わってほしくない。その様子は5月になれば映像として見ることができるだろう。言わば、それがこのパレードの正史である。山下さんのMCは感動的だったし、吉岡さんは涙に暮れていたが、それらはどちらかというと安心感とか達成感の要素が大きく、何にしても最後には寂しさを吹き飛ばすような極上の笑顔が残ったということである。

 だから最初に申し上げたとおり、本記事は蛇足でしかない。しかし私は、このような人間臭くて飾らない部分もまたWUGちゃんを構成する重要な要素であり、魅力の一つであると思っている。

 記載の中には現実と相違する点もあるだろう。正直言って正確さに自信はない。だからというのもおかしいが、この記事を読んでいただけている方におかれては、可能であればご自身の見られた光景を文字として残しておいてほしい。こんな記事を読む人はそんなにいないだろうという前提に基づく、身勝手なお願いである。あなたは何を憶えていますか?

 

繋がった想いはどこへ行くか

 2月25日、ライブの余韻を残しながら、私は地下鉄に乗り、国際センター駅併設の青葉の風テラスに向かった。この日までWUGのパネル展が催されていたからであり、旅の終わりには丁度いいと考えていた*4

 「催されている」という事実だけを認識し、他には特に何も考えずに出発した結果、到着したのは9時を過ぎた頃。会場への階段を上がると、そこには「パネル展は10時から」との札が掲げられていた。

 後ろから同じように上がってきたワグナーさんに「10時からみたいですよ」と伝え、さてどうしようかと二人で立ち往生していたところ、「すぐに開きますから、どうぞこちらでお待ち下さい」と観光協会のAさんが声をかけてくれた。ご厚意に甘え、併設されたカフェの椅子に座りながら、Aさんと少しWUGについて話をした。

 聴いたところによれば、現時点において、少なくとも観光施策としてのWUGの展開は、具体的に何も決まっていないそうだ。ただ、「何かしたい」とは思っていると。このことをネット上に書いてもよいかと尋ねると、Aさんは「(何も決まっていないという前提を書いてもらえれば)構わない」と笑顔で仰った。私はその言葉と心意気をとても心強く、また嬉しく思った。

 解散発表当時から、「WUGというコンテンツは続く」ことがしきりに唱えられてきたように思う。それが意味するところは何なのか、ツアーを通じてずっと考えてきた。この日、それがまた少し分かった気がする。積み上げてきたものがなくなるわけでも、道の先が途絶えるわけでもない。文字通り、WUGはこれからも続いていくのである。私が、私たちワグナーが、WUGとともに歩んでいこうとする限り。

 

想い出のパレード

 2月24日をもって、声優ユニットWake Up, Girls!は解散した。少なくとも一度は。と、捉えるのがしっくりくる。もちろんこれは個人的な感想である。つまり、「想い出のパレード」はタイトル通り、全ての区切りがついた後に、走馬灯的にその軌跡を回顧する場であると認識したほうが腑に落ちるのだ。

 だからどうという話ではない。ただ、もう何が来ても大丈夫そうだと私は思っているのである。どのような結末であれ、何も終わるわけではないということが分かったから。

 というわけで、3月8日にSSAで皆さまにお会いできることを心より楽しみにしております。何とぞお体ご自愛くださいますよう。ぜひとも盛大に祝って7人を送り出しましょう。

*1:もちろんその裏側には、スタッフの方々の尽力もあったことは言うまでもないだろう。

*2:認識誤りでなければ

*3:「舞台上の田中さんと目が合わない」とよく言われるのは、恐らく彼女が演目中に視線をほとんど動かさないからだ。それこそ仮面を被っているかのように。

*4:結果的にはこの後青葉城に行くこととなる。