死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

「潜入」と「入れ替わり」を苦手に思うのはどうしてか

 苦手なシチュエーションを語る生産性があるのかと問われれば、ないとしか答えようがない。「何が好きかで自分を語れよ!!!」というのは正論でしかない。しかしながら、どうしてそれを苦手に思うのか、案外自分でもよく分かっていないものではないか。なぜ私はそのシチュを好まないのか、深く掘ってみたことはなかった。なので少し考えてみようと思う。

 

 発端は『コップクラフト』である。積み上げていた既刊6冊を通しで読んでいた。以前にアニメ化したとの事実だけは認識していて、かつ作中のヒロイン(ダブル主人公?)であるティラナの声優が吉岡茉祐さんだったので、その内読んでみようと思っていたものだった。なおアニメは見れていない。


 いや~アメリカのドラマみたいな構成だね~と思いながら楽しく1, 2巻を読み進めていたのだが、問題は第3巻からだった。第3巻ではティラナが異世界の騎士貴族かつ地球世界の警察である身分を隠し、ハイソな高校への潜入捜査を行う。そう、「潜入捜査」である。このシチュが私はなんとも苦手である。このときも、そのまま読むかどうか大層迷った。結論として、作者に大変失礼だとは思いつつ、潜入部分を読み飛ばすことで解決を試みた。ビターで好みなラストだった。

 

 ともあれ無事に読み終えられた安心とともに、続く第4巻を手にとったところ、今度のシチュエーションは「入れ替わり」だった。ティラナと(主人公であるマトバが飼う)黒猫のクロイの心が入れ替わってしまうのである。間の悪いことに、私はこのシチュも大変に苦手だった(ということもあって未だに『君の名は。』を見れない)。またしても、なかなか読み進めることができない。いかんともしがたく、再び読み飛ばしてしまったのだった。

 

 創作物に触れる際、特定のシチュエーションに拒否感を抱くというのは珍しい話でもないだろう。誰しも好き嫌いはあるものだ。私の場合それらのうちの一つが潜入捜査だったり、入れ替わりだったりするというだけである。しかし、どうしてそれらが苦手なのだろうか。

 

 一つずつ考えてみる。私は「潜入捜査」の何が苦手なのか。とは言っても、潜入行為を伴うストーリーが苦手というわけではないし、同じ尺度の話かはわからないが、ステルス系のアクションゲームは大好きである。つまり、忍び込むこと自体は問題ないのだろう。また、潜入先に正体がバレかけるといったピンチ。これもあまり気にならない。緊張はするが、読める。そうして紐解いていくと、どうも「あるキャラクターが何かしらの組織・団体に潜入し、本来の自分とは違う人間を演じさせられる」描写が苦手であるらしいと理解した。

 

 だから、プロによる潜入は問題がないと言える。自分のなかに葛藤が存在せず、当たり前のように別の人間を演じられる、あるいはむしろ本来の自分なんてものは存在せず、あるのは演じる人格のみ。そういった人間による潜入は、むしろスリルがあって楽しい。しかし、そのような職人技ではなく、明確に自分自身を認識しながらも、全く別の身分や人柄を演じなければならない、そんな姿を見るのは非常に心苦しいのである。


 コップクラフト第3巻において、ティラナは人生初の潜入捜査を試みる。騎士でもなく警察官でもなく、一介の高校生としてその身を投じるのである。ミスから始まるも、徐々に学校生活にも慣れ、同級生との関係も構築されていって……と、それは大変よろしいのだが、その形成過程を見るのに私の精神力は追いつかない。

 

 そして第4巻である。上述の通り、本巻ではティラナとクロイの心が入れ替わってしまう。入れ替わりによってティラナの姿であるクロイが一糸まとわずウニャウニャしたり、それを見てクロイの姿であるティラナがワチャワチャする、実質的にはほんわかコメディ回なのだが、読んでいるこちらは笑っていられない。我ながら勝手な客で申し訳ない。

 

 「もし永遠に元の身体に戻れなくなったら?」という怖さもある。しかし、それよりも「自分が自分でない姿を客観的に見る」点に原因があるのではないか。普段なら絶対にしないようなことを、目の前の自分がやっている。共感性羞恥とも言えるかもしれない(何に共感してるんやという話だが)。

 

 根源的には「自分が自分でないと自分で認識している」あるいは「自分が自分でなくなりつつあると自分で認識している」状況に関する恐怖だと言い換えられるかもしれない。行き着くところ、認知症へのそれと同じものであるようにも思う。

 

 私は私が私であることに安心する。朝起きて、今日も私が私であると認識できた時、ああよかったと思う。だから、環境的に私であることを避けなければならないとか、なにかの力が働いてそういられなくなったとか、そういった想定が怖いのだろうと思う。

 

 しかし、ごちゃごちゃ言わんと色々楽しめたほうが人生よろしくなるには違いないから、それこそ君の名は。を観るところから始めてはどうか、と最近思っている。