死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

日記サイトを巡る旅路

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 なんでも残っているインターネットだが、残っていないものもある。いわゆる「忘れられる権利」が意識されるようになった現代においては、それ自体特に悪いことではない。古来より、形あるものいつかは壊れると言うし、人の噂も七十五日とも言われるし、何であれ、そもそも永続的に残るものはないのが自然の摂理だ。親孝行したいときには親はおらず、推しは推せるときに推したほうがよい。

 一方で、長い年月を経た後、「まだあるかな~」と思って探したものが見つかると嬉しい。例えば、現実世界において、幼少期に見た風景が残っているのを見ると、嬉しさや感動を覚えるだろう。

 ネットの場合もそれは同じで、昔見ていたホームページ(死語)が形を変えながらも残っていたりすると、それだけで嬉しくなる。形を変えていなければなお嬉しい。当時と同じように楽しめるかは別の話だが、想い出も相まって、「今でも残っている」という事実だけでやはり嬉しくなるものだ。

 

 私がインターネットに初めて触れたのは、小学校低学年ぐらいの頃。まだダイアルアップ接続の時代だ。何がきっかけで自宅にPCがやってきたのかは定かではないが、いつからか、IBMのスリム型デスクトップが、ブラウン管のモニタとともに、パソコン用デスクに鎮座していた。

 用途といえば雑誌付録のCDに収録されたゲームを楽しむ程度のもの。ダイヤルQ2に繋ぎかけるなどのトラブルもありつつ、特にプログラミングに目覚めることもなく、ゲーム機のコントローラーを握っている時間のほうが圧倒的に長かった。

 本格的にPCやインターネットを使い始めたのは、ADSLになってからだった。通信量を気にする必要がなくなり、以降PCの前で過ごす時間が段々と増えていった。一番の目的は、やはりゲームだった。箱庭諸島・SOLD OUTといったCGIゲームに始まり、FLASH、ツクールゲーと出会った。子どもとしては、無料で遊べる点が大きかったのだと思う。そうして、その後MMORPGにたどり着くまでそう長い時間はかからなかった。

 

 きっかけは学校の友人だった。面白いゲームがあるので一緒にやらないか。それはネットゲームと呼ばれるものらしい。誘いを受けた私は、早速公式サイトへ赴いた。とりあえずクライアントをインストールする必要があるらしい。インストールという行為が何を意味するのかはよく分からなかったが、サイトの説明に従い手を動かす。また、アカウントなるものを作る必要もあるらしい。アカウントがどういうものなのかはやはりよく分からなかったが、これも指示通りにこなしていく。

 そうした準備をすべて終え、ようやくゲームを起動すると、目の前に広がるのはネットの大海……という実感があったわけではないのだが、画面の向こうで自分と同じようにPCと向き合っている人間がいて、コミュニケーションが取れるのは純粋に面白かった。副産物として、ブラインドタッチも習得できた。

 

 さて、ネットゲームに入れ込むにつれて、インターネットの探索範囲も広がり、私は一つの文化と出会った。何かというと、ネットゲームプレイ日記サイトである

 

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 ネットゲームプレイ日記サイトというのは、文字通り、ネットゲーム上の出来事を記すことを主目的としたサイトである。まだブログサービスが主流ではなかったため、多くはhtml直打ちで構築され、BBSが設置されていて、リンク集のページがある。要素だけを取り出せば、当時の個人サイトと特に大きな違いはない。

 ゲーム画面のスクリーンショットがペタペタと貼られ、その合間合間に文字が入力される。純粋にゲーム生活を記した日記もあれば、しっかりとネタを入れてくる日記もあった。おそらくこれが、ネットにおけるテキスト文化(と言ってよいのかはわからないが)との初めての出会いだったと思う。そして、その文化に触れた私は、自分でも日記サイトを作ってみたいと思ったのだった。

 

 そうして生まれた私の日記サイト。はたしてどのような内容だったのか。一言で言えば黒歴史だろう。匿名掲示板の文化を若干引きずる文体。文末で輝く「(爆)」や「(ぉ」。徐々に私生活の話が織り交ぜられ、もはやテーマがよく分からない日記。それらを微笑ましいと取るのか、香ばしいと取るのか。少なくとも、この歳になって真正面から見返す勇気はない。

 しかし、そのサイトを通じていくつかの楽しい交流が生まれたのも事実だ。ゲーム上で、「日記サイト見てます!」と嬉しいことを言われることもあった。逆に怖い人に絡まれることもあったが、そうやって早い時期にネットの危なさを知れたのもよかっただろう。

 また、簡易な構成でも、エディタでhtmlを触り、FFFTPでファイルをアップロードした経験は、PC関係への拒否感をなくしてくれた。

 そして何より、そういった習慣が、ネット上で文章を書くという今の趣味に繋がっているのは間違いない。そう考えると、あの日記サイトは、私の核を成すものと言っても過言ではないのである。

 

 だから私は思い立った。

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 とはいえ、現実的にはなかなか厳しい。私のサイトは、当時利用していたプロバイダのレンタルスペースで運営されていた。このプロバイダは、遠い昔に解約してしまっている。だから当時のサイトは、物理的に現在のインターネット上から消失しているはずだ。また、各種htmlファイルも、PCの買い替えに伴って、もはや存在していない。

 よく考えなくても八方塞がりである。どうしようもないのか? いや、私には強い味方がいるではないか。ウェイバックマシンを使えば、もしかすると、何とかなるのではないか?

 

archive.org

 

 ウェイバックマシンの説明は割愛させてもらうとして、必要なのはサイトのURLである。もちろん、私はそれを覚えていない。しかし、それこそインターネットは覚えているかもしれない。当時は大リンクフリー・相互リンク時代。他の日記サイト上に私のサイトURLが載せられていて、それが今も残っている可能性はある。あるいはいにしえのアンテナサイトから辿れるかもしれない。

 令和の時代に、平成の黒歴史を探すため、インターネットの大海に潜るというのは、我ながら何ともはやではあるが、むしろ黒歴史を総括できていないが故に、私は今も平成に取り残されているのかもしれない。そう考えると、一刻も早く見つけなければならない。見つけて、私は令和を生きなければならないのだ。

 

 とはいえ、何から手をつければよいのか。とりあえず私は、「ゲーム名+日記サイト」で検索してみた。一見これは悪手のように見える。なぜならば、このゲームは今もそこそこ元気にサービスを継続しているからである。検索結果は現役プレイヤーの日記サイトで溢れかえるのではないか。

 しかし、それは杞憂だった。SNSが主役となった現代において、わざわざ日記サイトの形式で何かを発信しようとする人は少数派だ。あったとしてもブログがいいところ。結果的には深く掘ることなく、懐かしさを覚えるサイトがすぐに見つかった。

 懐かしさと言っても、自分が当時そのサイトを利用していたかどうかの記憶はおぼろげだ。しかし、cssや何かしらのスクリプトが使われていない、centerタグが鎮座するそのサイトは、まさしく当時の雰囲気を醸し出していた。

 このようなサイトが今も残されているのは、管理人の善意にほかならない。ありがたくもリンク集のページに向かい、色とりどりのリンクバナーに目を向けると、ところどころに見覚えがある。興奮を覚えながらバナーの一つをクリックする。しかし、404が帰ってきた。次のサイトも。その次のサイトも。残念ながら、今も生存しているサイトは、ほぼなかったのだった。

 こうなるとウェイバックマシンの出番である。ここからは運試しだ。手がかりが見つかる保証はない。一度しかない人生において、時間をこんなことに使うのは無駄の極みだ。しかし私は深海を目指す。まだそこに私がいるかもしれないから。

 

 ウェイバックマシンに乗り込んだ私は、先ほどのサイトから、まず当時の大手情報サイトに飛んだ。ここではゲームに関する基本的なデータが一通り揃っていて、かつ掲示板での交流が盛んだった。何かしら手がかりが見つかるかもしれない。

 2003年ごろのサイトに訪れると、はるか昔の記憶が呼び起こされる。私はここに来たことがある。ゲーム情報も気になるところだが、今は本論ではない。何かないか。私のサイトに繋がる何かが。

 そうして画面を下にスクロールしていくと、「自動リンク」の文字が目に入ってきた。その瞬間、私の頭に電撃が走った。ここだ。ここにきっと、あるはずだ。

 自動リンクというのは、自主登録型リンク集のことである。そのゲームに関係しているサイトであれば、特に審査もなく、自分のサイトを自由に登録できた。私も自サイトを作成した際、ここに登録をしたような記憶があった。そして、ここから様々なサイトに訪れた覚えもあった。

 喜び勇んでリンクの中を探ってみる。登録件数は100件ほど。見たところ私のサイトはない。もとい、思ったよりもサイトの数が少ないと感じた。こんな数量ではなかったはずだ。私はウェイバックマシンの年月を少し先に進めた。

 すると、約二年で登録件数は10倍近くに増えていた。当時の勢いを物語っているようだ。登録サイト一覧のページをめくっていく。1ページあたり25サイトが表示される仕様のため、60ページほどに分割されているのである。ウェイバックマシンの性質上、全てのページを閲覧できるかは分からない。すでに何ページかは記録が残っていないようだった。そのページに私のサイトが掲載されていたとするとどうしようもない。

 しかし、泣き言は言っていられない。まずはできることをしよう。私は登録されたサイト名を一つ一つ確かめていったのだった。

 

 

 そして、50ページを超えたところに、私のサイトがあった。

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 コメント:『プレイ日記をむぁったり書いてます。殺風景なサイトですが、どうぞよろしくお願いします~。

 

 あぁ~もうダメだ。「まったり」という言葉は当時私が好んで使っていた表現で、しかしストレートに使うのが面白くないと思ったんだね。だから「むぁったり」とちょっとひねった感じにしたんだね。うんうん分かるよ。なんてったって君は僕だからね。

 若干の精神ダメージを受けつつも、内心では非常に興奮していた。そもそも、正直に言えば見つかるとは思っていなかったのだ。それが目の前に、しっかりとその痕跡を認められている。まさこんな簡単にたどり着けるとは。あとはリンク先のURLを確認し、ウェイバックマシンに打ち込めばよい。記録がないことも考えられるが、そのときはそのときだ。

 さあさあと、サイト名にポインタを載せ、ステータスバーを確認した。しかしここで思わぬ誤算があった。URLが表示されない。いや、厳密に言えば表示されてはいる。しかしそれは、自動リンクドメインであった。一度クッションページを挟む方式だったのかもしれない。ともあれ、ここからでは私のサイトに直接飛ぶことができない。そして、その中間ページの記録は、ウェイバックマシンに残っていなかった。言い換えれば、私は自分のサイトのURLを確かめられなかったのだった。

 

 当初順調と思われた探索は、一瞬にして雲行きが怪しくなった。その後、何となくでも聞き覚え・見覚えのあるサイトを巡ったものの、私のサイトに繋がるものはなかった。

 よくよく考えてみれば、日記サイトの中でも木っ端な存在だったわけで、他所様のサイトにリンクが貼られている、なんてこと自体、おおよそ想定できない話だった。積極的に相互リンクを申し出た記憶もない。話しかけられれば応じるが、こちらから話しかけることはしない。思えば、内向的なのに、何かを発信したい気持ちは強い子どもだった。大人になった今も、その性質は変わっていない。

 感傷にひたっている場合ではなかった。これでは企画倒れである。サイトが見つかるかどうかを確かめてからこの記事を書けばよいものを、勢いだけで書き始めてしまった。しかしインターネットとはそういうものだろう。だが、もうそういう時代ではないかもしれない。

 

 その後も私は探索を続けた。しかし、一向に手がかりを見つけることはできなかった。現実的な帰結ではある。そうそううまい話があるはずはないのだ。あるものはあるし、ないものはない。世の中なるようにしかならないのである。

 この先、あのサイトにたどり着ける日は来るのだろうか。別に大げさな話ではない。その存在が常に頭の片隅を占めているわけでもない。ではないのだが、会えないとなると寂しく感じてしまうものだ。

 しかし、何の根拠もないが、インターネットに居れば、いつか再会できる日が来るのではないかと私は思っている。インターネットというのはそういう場所だから。その日が訪れるまで、私はこれからもインターネットとともに生きていこう。そして過去の私と出会えた暁には、当時の自分が生み出したものを、笑顔で受け止められればと思う。